学問としての芸術 その性質


思うのだが、数ある学問の中で、こと芸術に関しては 様々な解釈の仕方が受け入れられている と思う。芸術以外の学問には余り見られない現象で、私にとっての芸術とは といった表現もされている。

例えば、人生経験を積んだ人が その経験から学んだ事を取り入れて、私なりの人生哲学 という言い方をする事はある。しかしそれは、哲学とは言っても個人的な人生観であり、事物の原理を理性によって探究する学問としての哲学とは違うだろう。他ジャンルでも、これが私にとっての科学です などと、個人的な見解と学問を一緒にしたりはしない。しかし芸術は、専門家以外の人からも個人的な好みで自由に解釈され、語られている。

確かに芸術には、数学のような誰もが納得する明確な正解は無さそうだ。例えば絵画なら、名画と言われる作品は多数存在しているし、素晴らしい作品が新しく生み出されても過去の作品は否定されない。その為に何が正解か判かり難くなっているのが原因で、自由に解釈されているのかもしれない。

だが、実は芸術にも正解はある。それは 長い歴史に淘汰されずに残っている作品群 であり、正にそれこそが芸術にとっての正解になる。常に新しい発見が過去を更新していく物理学などと違い、芸術にとっての正解は一つではない。新しい発見が過去を否定するのではなく、発見によって素晴らしい作品が増えていく。それは、芸術が個人の感性や時代に寄る部分が多いためであり、また、人類の歴史・文化が続いた結果の副産物 だからでもある。明確で理論的な数学や、構造を明らかにして正解が一つのみの物理学・天文学などとは、同じ学問でも芸術は その性質が違っている。芸術にとって過去の作品を否定することは、人類の過去の歴史を否定することと同義になる。だからこそ、新しい文化に対して生まれた新しい作品も、また正解として残り、人類の歴史と共に芸術も続いていく。

素晴らしい作品が新しく生まれ、歴史に残る芸術作品が増えるということは、また一つ新たな価値が容認されたということ。そして人々が芸術以外にも、そのように多様な価値観を認められるようになれば、つまり自分と違う考えの文化や他者を受け入れるようになれば、この世界はきっと素晴らしい。多様性を認めて受け入れる 事が人にとって大切だという事を、言葉で教えるのではなく、芸術は その在り方で示している。

2023年 記

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