・「写真」というメディアは、”美を表現” する中核的な芸術には不向きと思われる。表現するべき現実の一部分を切り取って作品としているのでフィクションとは言い難く、最初からありのままの現実 (美) が表現されていて鑑賞者は想像力を働かせる必要がない。しかも、制作者が作品へ個性を取り入れたり加工すればするほど、中核芸術にとって一番重要な作品のリアリティ (現実性・真実性) が 逆に損なわれていってしまう。
写真は写真であり中核芸術である必要はなく、絵画に似せる必要もない。加工してリアリティが損なわれ表現したいものが曖昧になり、写真なのか絵画なのか分からない中途半端な作品になるよりは、客観性という特性を活かした “現実を記録する作品” ドキュメンタリーのような作品が写真は魅力であり、絵画や文学など他のメディアより優れている部分だと思う。
【 写真について アンリ・マティスの言葉 】
「 ~~ 写真が本来備えている客観的魅力を失わないように、写真家はできる限り介入を控えるべきです。そこに何かを補おうとすれば、写真はそれこそ別の手段を真似たような見かけを与えかねません。写真は記録し、私達に記録資料を供給すべきでしょう。」
※1907年「カメラワーク」誌にて
・中核芸術に不向きな写真ではあるが、イギリスのミュージシャン:デヴィッド・シルヴィアンの「Perspectives」の写真作品は、制作者の個性や独創性が作品の現実性を損なう事なく成立している作品となっている。 対象となる被写体を分割してポラロイド撮影し 写真と写真を繋ぎ合わせて作品とする為、繋ぎ合わせ方やトリミングに個性が反映される。しかしその個性は、被写体や撮れた写真自体を加工してはいない為、現実性を損なってはいない。
シルヴィアンに影響を与えたであろうデヴィッド・ホックニーの一部の写真は、被写体を多面的・時間差的に撮影して繋ぎ合わせており 分析的キュビスムのような印象を与えるが、多面的なのは被写体の顔など一部分のみで、作品全体が多面的にはなっておらず、まとまりのない 違和感のある空間となっている。 シルヴィアンと比べるとホックニーの作品は実験的で凝り過ぎており、現実性が損なわれてしまっている。
しかし、シルヴィアンにも残念な点はある。その作風で写真作品を制作したのは1982年~1984年の期間に限られている事だ。自分の写真作品の価値を正しく理解・自覚し、シルヴィアンがその後も写真作品を制作し続けていたら写真作家としても名を馳せ、もっと素晴らしい写真作品を制作したのではないかと思うと残念に思う。
・アンドレアス・グルスキーの写真は、抽象表現主義の絵画の空間性ではなく、見た目・表面・デザイン性に着目し、対象物を あえて抽象表現主義の絵画っぽく撮影している。かなり多くの人物や窓などを俯瞰して撮影し、小さな同じパターンが繰り返されていて何が撮影されているのか一見分からない。それには目の焦点が一瞬合わなくなるような効果があり、ポロックの作品に通じるモノがある。 だがよく見ると、写真故に被写体の細部まで鮮明に確認できるので、その写り込んだ細部を注視してしまい、一部の成功した抽象表現主義絵画特有の、鑑賞者を包み込むような・無限に拡がるような空間は体感出来ない。やはり、いくら抽象のように見えるとは言え具象の写真でありメディアが違うので、中核的絵画を観た時と同じ体感を享受する事は無い。
だがグルスキーの作品は、何か撮影するべき被写体があり、その被写体にフォーカスするという一般的な写真とは違い、作品の仕上がりの枠組み (矩形) の四隅までを考慮して、見え方 (魅せ方ではなく見え方) にフォーカスするという その写真は正に絵画的な思考であり、その思考をベースに撮影をするという意味では新しく、やはり魅力的で興味深い作品だと思う。
・1962年ピューリッツァー賞 受賞作品の「問題を抱えた2人の男」は、ケネディとアイゼンハワーの様子から想像力は働くが、その想像とは 2人の抱えている問題やその後を想像する (想いを馳せる) 想像であって、中核的な芸術絵画を享受する際の「視覚に基づき空間を想像する」のとは違う想像である。
しかしこの写真は、2人が新旧の大統領である事を抜きにしても、その後ろ姿から深刻な・重苦しい雰囲気が表現されており、ドキュメンタリーとして優れた作品に間違いはない。 それにはモノクローム写真である事、雑木林が枯れている等々 偶然の要素があるだろう。しかし事実をありのまま撮影したにしても、その偶然の要素を含めて事実を写真として上手く消化しているからこそ、2人が向かう小屋が実際の距離よりも遠くに感じられ、2人の深刻さが表現されているのだと思う。その表現こそが、他のメディアには出来ない写真特有の、素晴らしい特徴だ。
また以前、友人が勤める写真美術館へ、クジラの写真展を家族で観に行った事があった。水中で撮ったクジラの写真が展示されていたのだが、その写真は巨大で、おそらく実物大にプリントされていたのだろう。この写真もまた過度に加工はされておらず、凄い迫力で真実性があった。
やはり写真は、このクジラの写真や「問題を抱えた2人の男」のように、絵画に寄せようと過度に加工する必要はないと感じる。それよりも、写真ならではの特性を活かしたドキュメンタリー作品を目指す方が、他のメディアには出来ない、写真ならではの良い作品が生まれるのではないだろうか。
・ドキュメンタリー
実在の出来事を虚飾を交える事なく記録した映像や写真・文章。
・フィクション
作り事・虚構。
・芸術はフィクションであり、所詮 造りモノ。
フィクションだからこそ、想像力が働く。知覚に基づいて想像する。
2021年 記
