ルブリョフ「聖三位一体」


美術の教科書に載っているような、美術史を語る上で外せない重要な作品という訳ではないし、作者の名前も余り知られてはいない。今までになかった新しい方法で空間表現をした作品ではないが、繊細で優美、そして現代的で洗練された印象 も与える、個人的にとても好きな絵である。

  アンドレイ・ルブリョフ「聖三位一体」

以下 中核的芸術絵画としてではなく、私が個人的に好きな作品として、色々な視点から この作品を紹介しようと思う。

制作されたのは15世紀初頭のロシアで、時代はルネサンスの頃。キリスト教の教義の中でも、特に難解な教えである聖三位一体を視覚的に表現し得た作品として、その後のロシア正教会の絵画に多大な影響を与えた作品だ。そしてロシアでは現在でも、この作品を聖三位一体の中で唯一正当な聖像として崇めており、人々から愛し続けられている。

アブラハムにもてなしを受ける三天使を、父と子と聖霊に見立てて描いたイコン画で、画面向かって左から父なる神・子(キリスト)・精霊の順で描かれている。 時代がルネサンスとは言っても初期ルネサンスの頃であり、ジョットが確立した現実味あふれる新しい絵画表現も、イタリアから遠く離れたロシアにはまだ普及していなかったのだろう。この時代のロシア絵画は未だ中世時代的な絵画が多数であり、実際ルブリョフの他の作品も、動きのない硬直した人物像が多い。しかし その中にあって、この作品の表現は現実的であり、三天使も人間的で表情も豊かだ。特にキリストの眼差しは優しそうで笑みをたたえているようにも感じられ、中世の平面作品の特徴である、正面を向き険しい顔つきの人物像とは異なっている。

天使達は円を成すように配されており、足置き台の描き方などは3次元的に描かれている。また、傾いた頭やキリストの衣類の黄色い部分の描写、背後の植物の角度が円の構成を助けてもいる。そして円の中心には杯が描かれており、天使達の視線を追うと、中央のキリスト ⇒ 父なる神 ⇒ 精霊 ⇒ 杯 へと誘導され、このイコン画の中心が杯であるのが分かるようになっている。 この杯の中には子牛の頭が入っているそうだが、私はキリスト教徒ではない為、その意味は分からない。だが厳かで神秘的な、聖なる場面であろう事が感じ取れる。

また この作品は、未だ中世の様式が色濃く残る時代に制作されたが、全く古さを感じさせない。 その理由を、私なりに考えてみた。

 ①中世時代の平面作品では、聖なる人や主要な人物は大きく描いていたが、この作品の登場人物は3人共に聖なる天使の為、描かれ方は皆んな同じ大きさになっている点。

 ② 天使達の視線の向きで私達の目線を誘導している為、中世時代の人物のように顔の向きも身体も正面を向いてはおらず、正面性が感じられない点。

 ③ この絵の背景は剥落などの損傷により、偶然にも今となっては何も描かれていないようになっており、その為に左右の天使の衣類・天使の翼・頭にある光輪・背景の建造物・テーブルや椅子や足置き台・地面の緑と、画面の大部分が同じような色調や色合いで統一され、現代の作品のように平面性が強調されている点。

 ④性別のない天使を描いている為に皆が女性のようであり、またテーブルを囲んでいる事から、淑女がお茶をしながら談笑している場面の、現代の風俗画のようにも見える点。

などが挙げられるだろう。 そういった複数の点から古さを感じさせずに、洗練された現代的な作品に感じるのだろうと思う。個人的に、本当に魅力的な絵画だ。

剥落せずに残った部分だけとはいえ、自分の作品が600年後も国中の人から信仰の対象とされ、人々を癒やし、時には救い、希望となり愛されているなんて、何と画家冥利に尽きることだろうか。絵画空間的な新しさは無いかもしれないが、私的に理想的な作品の在り方である。

以上 少しだけだが、一般的な情報と私の分析と感想を書いてみた。このテキストが皆にとって、この作品を理解する手助けになってくれれば と思う。そして、この作品を好きになってくれたら嬉しいし、書いた甲斐もある。

自分にとって好きな絵がある、というのは本当に素敵な事だと思う。確かに絵でお腹が膨れる事はないし、絵は生活を便利にする物でもない。しかし その役に立たない絵に向き合い、真剣に観て・感じて・考えて好きになる。それは 確実に心を豊かにし、その人を幸せに導く。そして この作品は、そんな魅力のある作品の一つだ。

2023年 記

検索語を上に入力し、 Enter キーを押して検索します。キャンセルするには ESC を押してください。

トップに戻る