中核芸術とは、人間の可能性の追求。
中核芸術とは、過去の美的高質の継承。
中核芸術とは、美を表現するもの。
中核芸術とは、人類の生きた証であり、人類が存在する限り求められ続け、造られていくもの。
世界最速の人間の1人である100M走の世界記録保持者が、世界一であるにも関わらず それでも尚 自分の記録よりも更に0.001秒でも早く走る事を目指し日々努力する訳とは、自分がというよりも人類はここまで到達出来るんだという可能性を追求しての行為ではないかと思う。芸術家も同じで、新しい美の発見という可能性を追求している。
円○は自然界の象徴。
四角□は人間の知性の象徴。
とするならば、中核芸術とは四角□で円○を表現するようなもの。
表現するべき美とは何か?
⇒ 人々が日々営んでいるこの人生・自然・現実の事。この世界が美であり、この世が美しい。
全ての美の基準・手本は自然にある。自然はリアル(現実)な存在であり、中核芸術はそれを表現し リアリティ(現実性・真実性) を追求している。
美しい女性や美しい風景を描いたからといって、その絵(作品)が美しい訳ではない。描く対象物の美しさと作品の美しさは別。 では、美しい作品とはどういうモノか?
⇒ 美を表現できている作品の事。つまり、現実を表現できている作品の事。絵画は空間芸術なので、空間が表現されている作品。
空間を表現する方法は複数あるが、過去の優れた作品と同質のクオリティを “新しい方法で” 空間表現 できている作品が「中核的な芸術絵画」の作品として認められて残っていく。
例えばレオナルドやルーベンス以上の画力だとしても、同じ表現方法で制作したならば今の時代 中核的芸術作品にはならないだろう。何故なら、その空間の表現方法は既に認知されているから。
同じ様に、写実性だけではなくキュビスムや抽象表現主義の方法だとしても同じ。
「絵」とは支持体に関係なく、描いた対象物(画像・図像)を指し、「絵画」は四角い平面のキャンバスに描くなど そのメディア固有の制限・制約を考慮し、その受け入れた制限を含めて作品とする。
2021年 記
